復興が抱える不安


2011年3月11日(金)14時46分、東日本大震災が発生しました。その時から、3年以上の月日が経とうとしています。
テレビや雑誌では被災地住民の方のその後や福島原発の処理、放射能汚染の問題が頻繁に取り上げられていますが、再発防止も含めた復興の進捗についてフォーカスされたニュースは少ない気がします。
そこで日経コンストラクション2014年3月10日号に、現地の復興に向けた現状を詳しく記したレポートが掲載されていましたので、ご紹介したいと思います。
国、宮城県、紀仙沼市、住民による話し合い、合意、そして復興に向けた工事というプロセスの中で、どんな問題が起こっているのか。
地震大国日本の今後の対策に関する貴重な事例として、非常に参考になると思います。
復興が抱える不安
防潮堤設備や鉄道復旧など見え始めた官民のズレ
震災以降、行政職員や建設関係者、住民らは、目の前の課題に一丸となって立ち向かうことで精一杯だった。丸3年がたち、次第に現状を客観視できるようになり、立場によって異なる不安を口にするケースが増えてきた。人手や資材の不足などは以前から声高に叫ばれており解決策も取られ始めているが、まだまだ不安要素は多い。今後の顕在化が予想できる問題も含めて、復興の現場にまん延する「不安」を追った。
◆巨大防潮堤に揺れる/命を守る壁の妥協点
震災から3年がたち、被災地の沿岸部で防潮堤の建物が進んでいる。写真は宮城県気仙沼市の野々下海岸だ。防潮堤の高さは海抜9.8m。津波から命を守ることを引き換えに、海が見える景色は失われつつある。
防潮堤の役目は、数十年から数百年に1度程度発生するレベル(L1)の津波を背後地にあふれさせないこと。東日本大震災のような最大クラスのレベル2(L2)の津波に対しては、防潮堤が一定の減災効果を発揮するものの、背後地への多少の浸水は許容することになる。
防潮堤が高くなるのは2011年の時点である程度、判明していた。津波を体験した住民は、「高さ」の受け入れにそれほど異論がなかったという。しかし、日を追うごとに震災の記憶は薄れ、潮目が変わりつつある。
宮城県内の防潮堤建設の合意形成率は、この1月末時点で81%とそれほど低くない。だが、管理区分ごとにみると差が生じている。同県の防潮堤は農地海岸、漁港海岸、建設海岸、港湾海岸、治山と五つの管理区分に分かれる。漁港海岸については合意状況が45%と低い。
「漁港は数が多く、全ての集落で合意形成に向けた説明会を開催できているわけではない。背後の土地利用計画が具体的に確定していないこともあり、合意形成率はほかと比べて低い」と、宮城県土木部河川課の門脇雅之課長は話す。
◆合意形成の最前線、「内湾地区」
漁港海岸でなかなか合意に至らなかったケースが、気仙沼市の気仙沼漁港にある内湾地区だ。防潮堤をめぐり、高さや位置、形状について問答を繰り返して、この2月にようやく一定の決着を迎えた(41ページ参照)。当初計画で、6.2mだった防潮堤嵩は、L1津波高を防ぐという水準を維持して4.1mまで下げられた。
村井嘉浩宮城県知事が何度も関係者の集まりに足を運ぶほど、防潮堤の建設に必要な合意形成のまさに“最前線”だった。
気仙沼漁港は、全国に13港しかない特定第3種漁港に指定されている。水揚げ量が多く、遠洋漁業の基地港としても知られる。同港の内湾地区は、飲食業や観光業などで賑わい、気仙沼市の“顔”と言われる。防潮堤は元々なく、海は生活圏の一部だった。それだけに、防潮堤の高さをめぐる議論は混迷を極めた。
気仙沼商工会議所の菅原昭彦会頭は、「復興初期に行政に不信感を募らせたことが、後々、合意形成が長引く要因の一つとなった」と話す。
菅原会頭は、合意形成で住民側の中心的な役割を果たした一人でもある。
◆当時の印象は「乱暴な説明」
菅原会頭が内湾地区の防潮堤に足を踏み入れるきっかけとなったのが、12年夏から始まった県による防潮堤建設の説明会だった。菅原会頭は、自らの地区以外の説明会にも参加。そこで感じた印象を「乱暴な説明だった」と表現する。
「防潮堤の管理区分ごとに、漁港や河川の話を次々に聞かされた。話に出てくる専門用語は分からない。さらには『防潮堤を造る場所と造り方は変える余地はあるが、高さは変えない』と言われた」(菅原会頭)。
菅原会頭をはじめとする住民有志は、「仮に防潮堤に反対するとしても、理解して納得したうえで判断したい」という思いから、8月に「防潮堤を勉強する会」を設立。専門家などを招いた勉強会を2ヵ月間で十数回の頻度で開いて知識を蓄えた。
住民らがこれだけ熱意を持って情報を収集するのは、元の町に戻りたいという意志が比較的、固かったからだ。同市建設部都市計画課の村上博課長は、「土地所有者に意向調査を3度ほど実施したが、震災から時間がたっても、戻って住み続けたいという割合が下がる傾向はなかった」と話す。
しかし、内湾地区を守る防潮堤の考えについては、一枚岩ではなかった。魚町付近の住民から防潮堤に反対する声が上がる一方、日頃から海が見えない南町付近の住民からは、防潮堤賛成の声が上がった。
少し内陸に位置する気仙沼市役所付近の住民からは、「防潮堤を低くすることで、自分たちの居住区まで災害危険区域の指定範囲が広がるのは困る」という苦情が殺到。
同市の条例では原則として、L2津波で少しでも浸水する範囲については、建築基準法に基づく災害危険区域に指定する。新築や増築などの制限が、掛かってしまうわけだ。
◆知事と市長と住民が議論を交わす
合意形成の歯車がかみ合い始めたのは、菅原会頭が13年7月に「内湾地区復興まちづくり協議会」の会長に就任してからだった。翌月には村井県知事が「防潮堤を勉強する会」の意見交換会に参加。翌9月も知事は足を運んで議論に加わる。
丁寧に話を進めるうちに、防潮堤に反対する住民が、腰高や胸高までなら許容できると態度を軟化。「海抜からの防潮堤高だけが焦点になっていたため、防潮堤の見かけの高さなどに対する意見を引き出せなくなっていた」と菅原会長は言う。
このときに、宮城県と気仙沼市、住民の3者は歩み寄ってまちづくりを進めることに合意する。「防潮堤高の決定に時間を掛けて、まちづくりをこれ以上遅らせられない」という共通の思いが根底にあった。
その後、13年12月に出された住民側の提案に対して、宮城県は当初は拒否していたフラップゲートの採用を認める代わりに、水質汚濁や船舶交通への支障を理由に湾口防波堤を却下。一方、市には背後地のさらなるかさ上げの了承を、まちづくり協議会には防潮堤高3.8mではなく4.1mの高さでの許容を提案した。
「それぞれが互いに譲歩しあった」と、県農林水産部漁港復興推進室の阿部勝美技術副参事は話す。そしてこの2月15日の全体説明会を経て防潮堤問單は決着を迎えた。結果的に、宮城県はL1の津波高を第1線堤である防潮堤で守る当初の目的は果たせた。住民も見かけの防潮堤高を胸高程度の1.3mにできた。
◆防潮堤に対する歴史が異なる
宮城県と比べて、防潮堤の建設が先行して進むのが岩手県だ。震災前の防潮堤に対しておおむね2倍以上の高さに復旧・新設するケースが多い宮城県に対して、10mを超えるような防潮堤が元々あった岩手県では、景色が激変するほどの変更はなかった。高い防潮堤と共存してきた期間が長い点も、同県が防潮堤の整備を進めやすい要因の一つだ。
そのような背景のある岩手県だが、ここに来て防潮堤に異論を唱える動きが生じ始めている。その例が、大槌町町方地区だ。同地区には、既往最大津波高をもとに高さ6.4mの防潮堤があった。震災後、14.5mの防潮堤が計画されている。
 
同町では、町長を含め幹部クラスの多くが津波で亡くなった。その後、町長選挙を実施するなどで、復興のスタートダッシュは遅れたが、11年10月と11月に防潮堤に関する説明会を集中的に開き、同年12月末に復興基本計画を作成した。
 
説明会では、津波被害を防ぐために防潮堤が以前より高くなることへの異論は、ほとんど出なかったという。大槌町の那須智復興局長は「元の防潮堤がそれなりに高く、海が見えるような生活圏でなかったことも影響した」とみている。
◆巨大防潮堤の維持管理に疑問
「住民側は表明していなかっただけで、潜在的に不満を抱いている人は多い」。ごう話すのは。同町で自営業を営む阿部敬-一氏だ。阿部氏は防潮堤の高さや合意形成の在り方に対して積極的に意思表明していくために、13年10月に「住民まちづくり運営委員会」を立ち上げた。
 
「町方地区だけで防潮堤と水門の建設費用は350億円と言われる。さらに今後、巨大な構造物に見合った維持管理が必要になる。そういった費用の話などは議論されていない」と阿部氏は指摘する。
 
しかし、計画をこれから見直すのは苦難が多い。13年の暮れに開かれた住民説明会で、阿部氏が防潮堤についての質問をすると、「話を蒸し返すな」と他の住民から非難される一幕もあったという。
「反対するだけでは復興を遅らせることになる。そのため、段階的整備で逆に早く住めるような代案を提示したい」と、阿部氏は意気込む。防潮堤の高さを下げつつ、背後地に盛り土をするなどして津波に対応する案を専門家とともに検討している。
◆防潮堤が先かまちづくりが先か
紹介した二つの事例のように防潮堤をめぐって議論が紛糾したり、再考されたりするのはなぜか―。
震災後、国の中央防災会議が津波に対する防災の方針を早急に決め、さらに被災地はそれを適用して復旧を進めた。結果、「高さが大きく変わる防潮堤の議論を十分にせず、合意形成を進めて復旧せざるを得なかったことが、後に混迷を来す背景にある」とみる自治体職員は多い。
他方、住民と行政の視点のギャップも大きな要因だろう。
 
まちづくりを進めたい住民と、防潮堤整備を進めたい行政。住民にしてみれば、防潮堤はまちづくりの要素の一つに過ぎず、目線は絶えず「自分たちの町をどうすべきか」に向いている。元から視点が違うため、同じ土俵で話し合えず、考え方に大きな“ズレ”が生じるのだ。
 
気仙沼商工会議所の菅原会頭は、「防潮堤の高さや区画整理、災害危険区域など、“地べた”のことしか議論せず、町の将来像に対する議論がおろそかになった」と悔やむ。

 

国内建設技術者の案件情報は下記をご覧下さい
こちらから!
まずはエントリーを!!という方は下記よりお願い致します
皆様からのご応募お待ちしております!!
→エントリーはこちらから!

 

このエントリーをはてなブックマークに追加